2007年12月31日月曜日

アマデウス

たまたまレンタルで目についたので「アマデウス」を久しぶりに見ました。
小学生か中学生の時にテレビでなんとなく見たのが始めてで、
それから何回か見た事があったと思います。

今回は「ディレクターズカット」という事で未公開シーンが20分も含まれているという事で、
約3時間の長丁場はちょっときつかったです。
別に途中で飽きるわけではなくて、2時間くらいの所でこれだけ時間たっているのに、
まだこの辺なのか?という感じで。

元々の内容と見比べるわけもなく、どこが未公開だったのか全くわかりませんが、
今回見て、最も印象的だったのは、モーツァルト夫妻ともに金の事を口にする場面だった。
彼は類まれなる音楽の才能を持ちながらも、当時の自らが属する社会において
サバイブしていく事ができなかったのだ。
一方で「凡庸なる人」として、モーツァルトの才能に嫉妬し、神への怒りや絶望を抱きながらも、
世間一般的には成功を収めていたように見えたのが、物語の語べたるサリエリだ。

「自分なら何でもできる」と信じている20代前半以前の若い人を除けば、
大部分の人は「凡庸なる人」サリエリに共感を覚えるのだろう。
私自身は何度かこの映画を見ながらもそう思ったのは今回が初めてだった。

この映画の感想としては、ものすごく捻じ曲がった見方だと思うが、
才能があってもそれだけはで生きていく事ができないし、
「凡庸」であっても自分次第でどうにかサバイブしていく事はできるのだ、という事か。
サリエリは自らがモーツァルトを殺したと苦しみながらも、生きているのだから。

また、これもこの映画の感想として的外れだろうし、
全くこの映画に限った話でもないはずなのだが、
この題材にして全編英語だという所がなんとも変な感じがしてました。
特にオペラをイタリア語で書くべきか、母国語であるドイツ語で書くべきか、というのを
英語で議論しているのが、なんとも言えず変な感じでした。

まあ、日本でも韓国や中国の話だったら、制作の背景次第ではありえることかもしれませんがね。

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