受託開発をdisる論調は置いとくとして。
ニッポンIT業界絶望論:江島健太郎 / Kenn's Clairvoyance - CNET Japan
参入に巨額の資本を必要としない情報産業では超優秀な技術者のアテンション(集中力)だけが稀少資源で、それ以外の何物もない。その資源を使ってどれだけレバレッジの効く情報財を生み出せるかが唯一無二の戦略であるはずだ。
であるのに、受託開発の世界には、そういったエキサイティングな革命の歴史とはどこにも接点がない。
生産された財は、最も低水準なサービス財と同様、たった一人の顧客に届けられる。以上おわり。
ま、そんなわけで、世の中が目まぐるしく動いているのに自分は・・・という焦りを覚えている心ある技術者は、全力で受託開発の会社から逃げ出す準備を整えたほうがいい。とても残念なことだけど、そこには未来は絶対にないよ、とハッキリと言っておくのが、ぼくにとっての精一杯の誠意だ。
確かにこれは私にとっては他人事ではない。
私は受託開発しかやったことがないけれども、現時点では確実に受託開発でない事をやる方向を意識が向きつつある、ということ。
受託開発というビジネス自体がどーのこーのいうことではないが、個人的にちょっと「飽き」があることは否めないし、違うビジネスモデルを経験することで自分を成長させられたらいいな、という感じで。
でも「受託開発に未来はない」とか言っても、別に受託開発自体がなくなるわけじゃない。
おごちゃんの雑文 » Blog Archive » 受託開発がどーとか
とは言え、それらが不要になるとか絶滅するとかってことは、全く思っていない。もちろん「何でもかんでも受託開発」というようなことはいずれなくなって行くだろうけど、それでもいわゆる「IT土方」はなくならない。リアルは泥臭いってのもあるけど、エンドユーザがエンドユーザである限り、それをフォローする立場というものは必要で、またそれに合わせて何らかの開発をしなきゃいけないということに変わりはない
要するにこの通りなのだと思います。
受託開発はなくならないし、その方が得意な人達もいる。
自分がどんな立ち位置にいようと、そういう仕事も込みで社会が成り立っているんだよね。
だから私自身は仮に受託開発から離れたとしても、仕事の価値を置くところという意味では将来はまた戻ってくるような気がする。自分自身でやるかどうかは別としても。
もう一つ思ったのは、以下の部分で。
ニッポンIT業界絶望論:江島健太郎 / Kenn's Clairvoyance - CNET Japan
こんな圧倒的なイノベーションが現在進行形で起きている時代にせっかく生きていながら、自分のやっていることのなんとちっぽけなことか。そういう焦燥感を覚えた。こんな志を持った人ばかりではないよね、ということ。
もともと、そういう圧倒的な技術の提供者になりたくてこの世界に来たはずじゃなかったのか。
「与えられた目の前の仕事」に一所懸命取り組み成し遂げる事に十分な満足を得られる人だっている。
というかその方が圧倒的に多くない?
そういうところも含めて、だからこそdisってるのかもしれないけど。
そう言えば、こんな記事があったのを思い出した。
Somewhere in a Way to Nowhere: 「普通のソフトウェア会社」も必要
「普通の人」が「普通のこと」をやる事で、なんとかして生計を立てていく事ができないと社会が成り立たない。みんながマッチョにはなりきれるわけではないのです。
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