2008年10月18日土曜日

それは自己実現とは程遠い感覚

記事の主旨自体はどうでもいいのですが、ちょっと気になった箇所がありまして。

職場が大混乱! 「スピリチュアルにすがる女」「胡散臭がる男」|働く男女の「取扱説明書」|ダイヤモンド・オンライン

「彼女たちは、確固たる価値観や世界観を持つことができず、不透明な未来に悩み、怯えていた。だから、祖先や前世、霊といった見えないものとの関係を作り出すことで、自分の位置を探しているのでしょう。ただし本来、自己実現など幻想にすぎません。それなのに、消費社会に生きる現代人たちは、お金さえあれば自分の未来も操作できると思い込んでいる。分をわきまえることが美徳とされた時代は、すでに過去となってしまいました」
この「それなのに」の後の内容は、その前の文の流れと全然つながらないと思うのですが。

「自己実現したいと思うこと」=「お金さえあれば自分の未来も操作できると思うこと」

という図式が成立しない限り、この論理展開は成り立たないのだが、でもそんなことはありえないよね。
記事全体を見ても、お金うんぬんの表現はここにしか出てこないような。

しかもその次の文は言い換えれば「自己実現したいと思うこと」は「分をわきまえない不徳」という事になる。そりゃあいくらなんでもないな。

「自己実現」の追求って、もちろん人それぞれなんだけど、
むしろ「お金が全てではない」というところに行きがちなものなんじゃないのかな。

手段としてお金が必要な場合も多いと思うけど、「お金で自分の未来を操作する」という感覚からは程遠い気がする。

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